「ありがとう」を普段から言う意識付けをしているライフケアコーポレーションの南山です。
ようやくマイナスの気温がなくなり、3月も終わりが近付いてきました。
3月といえば、卒業のシーズン。
こういう季節ではクラスメイトや家族の方々に「ありがとう」を言える貴重な機会が出てくるものです。
しかし、時期にかかわらず「ありがとう」を言えるチャンスがあるならば言った方が良い、と私は考えます。
皆さん、「ありがとう」の反対は何だと思いますか?
言葉ではありません。
ヒントは「○○○○○だと思う気持ち」です。
先月、函館へ遺品整理と特殊清掃の手助けをするために出張してきました。
猫の多頭飼いをしていた方が亡くなったのですが、家に入ってみると床が猫の糞で敷き詰められていました。
フローリングを歩いている感覚はなく、畑の上を歩いているような感じです。
加えて、ゴミ屋敷の状態でした。
現場写真は函館支店の安藤さんが撮っていましたので、私からは代わりにラッキーピエロ峠下総本店の店内をアップします。
遺品整理はもちろん行い、糞の始末も当然やりました。
多趣味な方だったようですが、それらの大切だったであろう物がゴミや糞尿にまみれているのを目の当たりにすると、亡くなった方の精神状態の変化を考えてしまいます。
心の支えとなるものでさえ頭から離れてしまうのは、とても悲しいことではないでしょうか。
または猫だけが唯一の心の拠り所で、猫のすることなら何でも許せたのかもしれません。
そういうことを想像していると「せめて自分にできることを」と思いながら作業にあたっています。
タイトルと矛盾するかもしれませんが、私は「ありがとう」を言われたくて働いてはいない、と思うのです。
ちなみに、私が聞いた「ありがとう」の反対ですが、「されて当然だと思う気持ち」だそうです。
亡くなった方から「ありがとう」と言われることはありませんが、自分は今の自分を築き上げてくれている人たちにこれからも「ありがとう」を言っていきたいです。